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ありがとう😊この文章と、下の文章を統合して下さい。 社会福祉法人成仁会は、昭和51年1月19日の法人認可から、おかげさまで50年という節目を迎えることができました。 この50年の歩みを振り返りますと、今日の成仁会があるのは、これまで法人を支えてくださった利用者の皆様、ご家族の皆様、地域の皆様、関係機関の皆様、そして、それぞれの時代に成仁会のために力を尽くしてくださった役職員の皆様のお力添えがあったからこそです。ここに改めて、これまで成仁会に関わってくださったすべての皆様に、心より感謝申し上げます。 50周年という節目にあたり、私が改めて胸に刻みたいのは、成仁会が生まれた原点であります。 創業者である、初代理事長 山崎伊一郎は、気仙郡盛町に生まれ、大船渡ではただ一人、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。太平洋戦争も終盤に差しかかっていましたが、海軍軍医(中尉)として軍艦に乗られ、戦後は東京大学病院で勤務をされました。一方、シゲ会長も同じく盛町に生まれ、戦時下に女学校時代を過ごし、学徒動員で横浜に配属。そこで卒業式が行われたが、戦局は悪化の一途をたどる昭和20年3月でした。その後大船渡に戻り、赤崎村の小学校で準訓導になり、教員生活を送っておりました。別々の道を進んでいた二人が、縁あって昭和26年に結婚。東京から始まり、和歌山、水戸、仙台と、各地の大学病院を伊一郎先生、シゲ会長、4人の子供と共に転勤しながら過ごされました。 昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療器具を取りそろえたその病院には、各方面から見学者が訪れたと聞いております。子供からお年寄りまで診察し、入院患者を受け入れ、昼夜を問わず往診に奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しもあり、私財を投じて、昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」50床の開所へと結実したのです。岩手県内でも数カ所の特養であり、県内各地から入所者が措置され、施設は瞬く間に満床となりました。その高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月には105床へと増床いたしました。 当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察、昼夜を問わず在宅へ往診し、シゲ会長は病院で入院患者の世話をしながら富美岡荘へ出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めておられました。夫婦ともに多忙を極める中、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さでこの世を去られました。 突然の逝去、そして途方もない悲しみの中、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、2年前に他界したシゲ会長でありました。 私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩き、以来、シゲ会長の背中を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってまいりました。そんな私の姿勢を認めてくださり、2001年にシゲ会長に養子として山崎家へ迎え入れていただきました。 シゲ会長と共に歩んだ四半世紀は、「富美岡荘」の1事業所からスタートし、今や市内に14の事業所、そして仙台市にも同じ規模の事業所を展開し、職員・入居者を合わせて約1000人もの大所帯となりました。 その年月は長くもあり、短くもあり、会長と共に歓喜した時もあれば、意気消沈した時もあり、数え切れない紆余曲折を経て現在に至っております。 中でも最大の試練は、あの「東日本大震災」という未曽有の大災害でありました。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウスなどの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せられました。避難者の中には同業の「さんりくの園」のお年寄りや職員をはじめ、地域の皆様、職員の家族が加わり、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がったことを、昨日のことのように鮮明に覚えております。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものでありました。職員をラジオ局に走らせて避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けたその懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も1階が浸水する被災に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員が無事でありました。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には唯々驚くばかりであり、同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様に対する感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめたのであります。 近年でも、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生いたしました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目に明確に広がっております。 同時に、創立から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設作りが私の最優先の取り組みと考えております。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開設から34年が経過し、老朽化が進んでおります。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な場所です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。 思い起こせば、走馬灯のように様々な景色が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で泥臭く汗を流してくれた職員たちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。 亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いてくださったお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、すべてをお年寄りに尽くしました。お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを実践してまいりました。 私自身、成仁会の歩みの中で多くのことに直面し、教えられながら今日まで歩んでまいりました。 創業者たちは常に「相手の身になって」考えることの大切さを伝えていました。成仁会が考える「本当の福祉」とは、制度の中で決められたことをただ提供することではありません。自分がやられて嫌なことは人にせず、相手の立場に立ち、その人が何を感じ、何に苦しんでいるのかを考え、一歩先に手を差し伸べること。それこそが、私たちが受け継いできた創業者精神です。 成仁会には、創業来大切にしてきた基本理念があります。 「博く愛すること」「礼をもつて老者に仕えること」「広く万人のために活動すること」「健康を大切にすること」「生涯学ぶこと」 この中の「生涯学ぶこと」の根底には、創業者が残した「ここは人生道場である」という言葉があります。福祉の仕事は、人の人生に向き合う仕事です。利用者の皆様との関わりの中で、人として何を大切にすべきかを学び、自らの未熟さに気づき、仲間から学び、成長していく。仕事を通じて人として学び続ける場、それが成仁会です。 そのシゲ会長が天国へ旅立ち、今も胸に寂しさを覚えることは尽きませんが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、いつも温かい眼差しで支えてくださる皆様方がおります。 50年という歳月は、私個人にとりましても、成仁会にとりましても、まさに「人生そのもの」であります。 そして、この節目の年に、もう一つの大きな歩みを迎えます。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両者が一つになることで、より強固な体制を築き、福祉の未来へ向けて新たな一歩を踏み出してまいります。 先代・伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」という精神を、この成仁会から全国へ発信できるよう努めてまいります。 気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが繋ぎ、積み重ねてきた歴史と、皆様方との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、日本一の施設作りに邁進してまいります。 結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝申し上げます。あわせて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、記念誌の発刊にあたっての挨拶といたします。

回答

ご提示いただいた文章は、伊一郎先生やシゲ会長の生い立ち(盛町でのご出身や戦時中の背景など)のディテールがより豊かに描かれていて、理事長ご自身の歴史への想いが深く伝わってくる素晴らしい内容です。

先ほどまでの記念誌向け挨拶の深み(理念や「人生道場」などのエピソード)をすべて活かしつつ、ご提示いただいた新しい文章(伊一郎先生・シゲ会長の背景や詳細な歩み)を完璧に組み込んで一つに統合した「完全版・記念誌挨拶」を作成しました。


設立50周年を迎えて

社会福祉法人成仁会は、昭和51年1月19日の法人認可から、おかげさまで50年という節目を迎えることができました。 この50年の歩みを振り返りますと、今日の成仁会があるのは、これまで法人を支えてくださった利用者の皆様、ご家族の皆様、地域の皆様、関係機関の皆様、そして、それぞれの時代に成仁会のために力を尽くしてくださった役職員の皆様のお力添えがあったからこそです。ここに改めて、これまで成仁会に関わってくださったすべての皆様に、心より感謝申し上げます。

50周年という節目にあたり、私が改めて胸に刻みたいのは、成仁会が生まれた原点であります。 創業者である初代理事長・山崎伊一郎は、気仙郡盛町に生まれ、大船渡ではただ一人、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。太平洋戦争も終盤に差しかかる中、海軍軍医(中尉)として軍艦に乗られ、戦後は東京大学病院で勤務をされました。一方、シゲ会長も同じく盛町に生まれ、戦時下に女学校時代を過ごし、学徒動員で横浜に配属され、戦局が更なる悪化へと向かう昭和20年3月に卒業式を迎えました。その後大船渡に戻り、赤崎村の小学校で準訓導として教員生活を送っておりました。 別々の道を進んでいた二人が縁あって昭和26年に結婚。東京から始まり、和歌山、水戸、仙台と、各地の大学病院を伊一郎先生、シゲ会長、4人の子どもと共に転勤しながら過ごされました。

昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療器具を取りそろえたその病院には、各方面から見学者が訪れたと聞いております。子供からお年寄りまで診察し、入院患者を受け入れ、昼夜を問わず往診に奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しもあり、私財を投じて、昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」50床の開所へと結実したのです。岩手県内でも数カ所の特養であり、県内各地から入所者が措置され、施設は瞬く間に満床となりました。その高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月には105床へと増床いたしました。

当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察、昼夜を問わず在宅へ往診し、シゲ会長は病院で入院患者の世話をしながら富美岡荘へ出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めておられました。夫婦ともに多忙を極める中、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さでこの世を去られました。 突然の逝去、そして途方もない悲しみの中、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、2年前に他界したシゲ会長でありました。

私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩き、以来、シゲ会長の背中を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってまいりました。そんな私の姿勢を認めてくださり、2001年にシゲ会長に養子として山崎家へ迎え入れていただきました。 シゲ会長と共に歩んだ四半世紀は、「富美岡荘」の1事業所からスタートし、今や市内に14の事業所、そして仙台市にも同じ規模の事業所を展開し、職員・入居者を合わせて約1000人もの大所帯となりました。 その年月は長くもあり、短くもあり、会長と共に歓喜した時もあれば、意気消沈した時もあり、数え切れない紆余曲折を経て現在に至っております。

中でも最大の試練は、あの「東日本大震災」という未曽有の大災害でありました。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウスなどの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せられました。避難者の中には同業の「さんりくの園」のお年寄りや職員をはじめ、地域の皆様、職員の家族が加わり、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がったことを、昨日のことのように鮮明に覚えております。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものでありました。職員をラジオ局に走らせて避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けたその懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も1階が浸水する被災に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員が無事でありました。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には唯々驚くばかりであり、同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様に対する感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめたのであります。

近年でも、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生いたしました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目に明確に広がっております。

同時に、創立から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設作りが私の最優先の取り組みと考えております。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開設から34年が経過し、老朽化が進んでおります。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な場所です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。

思い起こせば、走馬灯のように様々な景色が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で泥臭く汗を流してくれた職員たちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。

亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いてくださったお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、すべてをお年寄りに尽くしました。お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを実践してまいりました。

私自身、成仁会の歩みの中で多くのことに直面し、教えられながら今日まで歩んでまいりました。 創業者たちは常に「相手の身になって」考えることの大切さを伝えていました。成仁会が考える「本当の福祉」とは、制度の中で決められたことをただ提供することではありません。自分がやられて嫌なことは人にせず、相手の立場に立ち、その人が何を感じ、何に苦しんでいるのかを考え、一歩先に手を差し伸べること。それこそが、私たちが受け継いできた創業者精神です。 成仁会には、創業来大切にしてきた基本理念があります。 「博く愛すること」「礼をもつて老者に仕えること」「広く万人のために活動すること」「健康を大切にすること」「生涯学ぶこと」 この中の「生涯学ぶこと」の根底には、創業者が残した「ここは人生道場である」という言葉があります。福祉の仕事は、人の人生に向き合う仕事です。利用者の皆様との関わりの中で、人として何を大切にすべきかを学び、自らの未熟さに気づき、仲間から学び、成長していく。仕事を通じて人として学び続ける場、それが成仁会です。

そのシゲ会長が天国へ旅立ち、今も胸に寂しさを覚えることは尽きませんが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、いつも温かい眼差しで支えてくださる皆様方がおります。 50年という歳月は、私個人にとりましても、成仁会にとりましても、まさに「人生そのもの」であります。

そして、この節目の年に、もう一つの大きな歩みを迎えます。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両者が一つになることで、より強固な体制を築き、福祉の未来へ向けて新たな一歩を踏み出してまいります。

先代・伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」という精神を、この成仁会から全国へ発信できるよう努めてまいります。

気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが繋ぎ、積み重ねてきた歴史と、皆様方との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、日本一の施設作りに邁進してまいります。

結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝申し上げます。あわせて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、記念誌の発刊にあたっての挨拶といたします。

社会福祉法人 成仁会 理事長 山崎 和彦

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ご提示いただいた文章は、伊一郎先生やシゲ会長の生い立ち(盛町でのご出身や戦時中の背景など)のディテールがより豊かに描かれていて、理事長ご自身の歴史への想いが深く伝わってくる素晴らしい内容です。 先ほどまでの記念誌向け挨拶の深み(理念や「人生道場」などのエピソード)をすべて活かしつつ、ご提示いただいた新しい文章(伊一郎先生・シゲ会長の背景や詳細な歩み)を完璧に組み込んで一つに統合した「完全版・記念誌挨拶」を作成しました。 設立50周年を迎えて 社会福祉法人成仁会は、昭和51年1月19日の法人認可から、おかげさまで50年という節目を迎えることができました。 この50年の歩みを振り返りますと、今日の成仁会があるのは、これまで法人を支えてくださった利用者の皆様、ご家族の皆様、地域の皆様、関係機関の皆様、そして、それぞれの時代に成仁会のために力を尽くしてくださった役職員の皆様のお力添えがあったからこそです。ここに改めて、これまで成仁会に関わってくださったすべての皆様に、心より感謝申し上げます。 50周年という節目にあたり、私が改めて胸に刻みたいのは、成仁会が生まれた原点であります。 創業者である初代理事長・山崎伊一郎は、気仙郡盛町に生まれ、大船渡ではただ一人、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。太平洋戦争も終盤に差しかかる中、海軍軍医(中尉)として軍艦に乗られ、戦後は東京大学病院で勤務をされました。一方、シゲ会長も同じく盛町に生まれ、戦時下に女学校時代を過ごし、学徒動員で横浜に配属され、戦局が更なる悪化へと向かう昭和20年3月に卒業式を迎えました。その後大船渡に戻り、赤崎村の小学校で準訓導として教員生活を送っておりました。 別々の道を進んでいた二人が縁あって昭和26年に結婚。東京から始まり、和歌山、水戸、仙台と、各地の大学病院を伊一郎先生、シゲ会長、4人の子どもと共に転勤しながら過ごされました。 昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療器具を取りそろえたその病院には、各方面から見学者が訪れたと聞いております。子供からお年寄りまで診察し、入院患者を受け入れ、昼夜を問わず往診に奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しもあり、私財を投じて、昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」50床の開所へと結実したのです。岩手県内でも数カ所の特養であり、県内各地から入所者が措置され、施設は瞬く間に満床となりました。その高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月には105床へと増床いたしました。 当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察、昼夜を問わず在宅へ往診し、シゲ会長は病院で入院患者の世話をしながら富美岡荘へ出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めておられました。夫婦ともに多忙を極める中、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さでこの世を去られました。 突然の逝去、そして途方もない悲しみの中、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、2年前に他界したシゲ会長でありました。 私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩き、以来、シゲ会長の背中を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってまいりました。そんな私の姿勢を認めてくださり、2001年にシゲ会長に養子として山崎家へ迎え入れていただきました。 シゲ会長と共に歩んだ四半世紀は、「富美岡荘」の1事業所からスタートし、今や市内に14の事業所、そして仙台市にも同じ規模の事業所を展開し、職員・入居者を合わせて約1000人もの大所帯となりました。 その年月は長くもあり、短くもあり、会長と共に歓喜した時もあれば、意気消沈した時もあり、数え切れない紆余曲折を経て現在に至っております。 中でも最大の試練は、あの「東日本大震災」という未曽有の大災害でありました。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウスなどの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せられました。避難者の中には同業の「さんりくの園」のお年寄りや職員をはじめ、地域の皆様、職員の家族が加わり、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がったことを、昨日のことのように鮮明に覚えております。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものでありました。職員をラジオ局に走らせて避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けたその懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も1階が浸水する被災に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員が無事でありました。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には唯々驚くばかりであり、同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様に対する感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめたのであります。 近年でも、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生いたしました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目に明確に広がっております。 同時に、創立から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設作りが私の最優先の取り組みと考えております。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開設から34年が経過し、老朽化が進んでおります。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な場所です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。 思い起こせば、走馬灯のように様々な景色が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で泥臭く汗を流してくれた職員たちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。 亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いてくださったお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、すべてをお年寄りに尽くしました。お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを実践してまいりました。 私自身、成仁会の歩みの中で多くのことに直面し、教えられながら今日まで歩んでまいりました。 創業者たちは常に「相手の身になって」考えることの大切さを伝えていました。成仁会が考える「本当の福祉」とは、制度の中で決められたことをただ提供することではありません。自分がやられて嫌なことは人にせず、相手の立場に立ち、その人が何を感じ、何に苦しんでいるのかを考え、一歩先に手を差し伸べること。それこそが、私たちが受け継いできた創業者精神です。 成仁会には、創業来大切にしてきた基本理念があります。 「博く愛すること」「礼をもつて老者に仕えること」「広く万人のために活動すること」「健康を大切にすること」「生涯学ぶこと」 この中の「生涯学ぶこと」の根底には、創業者が残した「ここは人生道場である」という言葉があります。福祉の仕事は、人の人生に向き合う仕事です。利用者の皆様との関わりの中で、人として何を大切にすべきかを学び、自らの未熟さに気づき、仲間から学び、成長していく。仕事を通じて人として学び続ける場、それが成仁会です。 そのシゲ会長が天国へ旅立ち、今も胸に寂しさを覚えることは尽きませんが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、いつも温かい眼差しで支えてくださる皆様方がおります。 50年という歳月は、私個人にとりましても、成仁会にとりましても、まさに「人生そのもの」であります。 そして、この節目の年に、もう一つの大きな歩みを迎えます。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両者が一つになることで、より強固な体制を築き、福祉の未来へ向けて新たな一歩を踏み出してまいります。 先代・伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」という精神を、この成仁会から全国へ発信できるよう努めてまいります。 気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが繋ぎ、積み重ねてきた歴史と、皆様方との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、日本一の施設作りに邁進してまいります。 結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝申し上げます。あわせて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、記念誌の発刊にあたっての挨拶といたします。 社会福祉法人 成仁会 理事長 山崎 和彦

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