Prompt

素晴らしいです。ありがとう😊 一つ追加です。 今年、12月に、成仁会と仙台の杜の里福祉会が合併する予定です。 それを文章に入れてほしいです。

Response

すごい、いよいよ今年12月に仙台の杜の里福祉会と合併されるのですね。大きな節目を迎える成仁会の未来にとって、すごく大切なニュースですね。

その内容を、最後の「これからの未来へ向けての決意」のパートに自然に、かつ力強く組み込みました。全体の流れがより一層、次の50年への飛躍を感じさせるものになっています。


社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典 式辞(合併追記版)

皆様、本日はご多忙の中、岩手県知事 達増卓也様、衆議院議員 鈴木俊一様、岩手県社会福祉協議会 会長 千葉様、大船渡市長 渕上様をはじめ、長年当法人を温かいご厚情で支えてくださる全国各地の関係者の皆様、日頃からボランティアとして寄り添ってくださる地域団体の皆様、地元で支えてくださる商店の皆様、そして、かつて共に汗を流していただいた退職職員や、今を支える現役の役職員が一堂に会してくださいました。 こうして社会福祉法人成仁会の設立50周年記念式典を無事に迎えることができましたことは、理事長として、また山崎家を代表いたしまして、心より厚く御礼を申し上げます。

さて、成仁会の創業者である伊一郎先生は、当時大船渡ではたった一人、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。戦時中は軍医として軍艦に乗られ、戦後は和歌山、水戸、仙台と、各地の大学病院を妻であるシゲ会長と共に転勤しながら過ごされました。 昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療器具を取りそろえたその病院には、各方面から見学者が訪れたと聞いております。子供からお年寄りまで診察し、入院患者を受け入れ、昼夜を問わず往診に奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しもあり、私財を投じて、昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」50床の開所へと結実したのです。 岩手県内でも4番目か5番目の特養であり、県内各地から入所者が措置され、施設は瞬く間に満床となりました。その高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月には105床へと増床いたしました。

当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察、昼夜を問わず在宅へ往診し、シゲ会長は病院で入院患者の世話しながら富美岡荘へ出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めておられました。夫婦ともに多忙を極める中、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さでこの世を去られました。 突然の逝去、そして途方もない悲しみの中、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、2年前に他界したシゲ会長でありました。

私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩き、以来、シゲ会長の背中を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってまいりました。そんな私の姿勢を認めてくださり、2001年にシゲ会長に養子として山崎家へ迎え入れていただきました。 シゲ会長と共に歩んだ四半世紀は、「富美岡荘」の1事業所からスタートし、今や市内に14の事業所、そして仙台市にも同じ規模の事業所を展開し、職員・入居者を合わせて約1000人もの大所帯となりました。 その年月は長くもあり、短くもあり、会長と共に歓喜した時もあれば、意気消沈した時もあり、数え切れない紆余曲折を経て現在に至っております。

中でも最大の試練は、あの「東日本大震災」という未曽有の大災害でありました。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウスなどの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せられました。避難者の中には同業の「さんりくの園」のお年寄りや職員をはじめ、地域の皆様、職員の家族が加わり、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がったことを、昨日のことのように鮮明に覚えております。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものでありました。職員をラジオ局に走らせて避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けたその懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も1階が浸水する被災に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員が無事でありました。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には唯々驚くばかりであり、同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様に対する感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめたのであります。

近年でも、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生いたしました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目に明確に広がっております。

同時に、創立から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設作りが私の最優先の取り組みと考えております。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開設から34年が経過し、老朽化が進んでおります。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な場所です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。

思い起こせば、走馬灯のように様々な景色が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で泥臭く汗を流してくれた職員たちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。

亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いてくださったお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、すべてをお年寄りに尽くしました。お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを実践してまいりました。

そのシゲ会長が天国へ旅立ち、今も胸に寂しさを覚えることは尽きませんが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、こうして温かい眼差しを向け、絶えず激励をくださる皆様方がおります。 50年という歳月は、私個人にとりましても、成仁会にとりましても、まさに「人生そのもの」であります。

そして、この節目の年に、もう一つの大きな歩みをお伝えいたします。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両者が一つになることで、より強固な体制を築き、福祉の未来へ向けて新たな一歩を踏み出してまいります。

先代・伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」という精神を、この成仁会から全国へ発信できるよう努めてまいります。

気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが繋ぎ、積み重ねてきた歴史と、今日ここにご参集の皆様方との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、日本一の施設作りに邁進してまいります。

結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝申し上げます。あわせて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、私からの式辞といたします。

本日は誠にありがとうございました。

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すごい、いよいよ今年12月に仙台の杜の里福祉会と合併されるのですね。大きな節目を迎える成仁会の未来にとって、すごく大切なニュースですね。 その内容を、最後の「これからの未来へ向けての決意」のパートに自然に、かつ力強く組み込みました。全体の流れがより一層、次の50年への飛躍を感じさせるものになっています。 社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典 式辞(合併追記版) 皆様、本日はご多忙の中、岩手県知事 達増卓也様、衆議院議員 鈴木俊一様、岩手県社会福祉協議会 会長 千葉様、大船渡市長 渕上様をはじめ、長年当法人を温かいご厚情で支えてくださる全国各地の関係者の皆様、日頃からボランティアとして寄り添ってくださる地域団体の皆様、地元で支えてくださる商店の皆様、そして、かつて共に汗を流していただいた退職職員や、今を支える現役の役職員が一堂に会してくださいました。 こうして社会福祉法人成仁会の設立50周年記念式典を無事に迎えることができましたことは、理事長として、また山崎家を代表いたしまして、心より厚く御礼を申し上げます。 さて、成仁会の創業者である伊一郎先生は、当時大船渡ではたった一人、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。戦時中は軍医として軍艦に乗られ、戦後は和歌山、水戸、仙台と、各地の大学病院を妻であるシゲ会長と共に転勤しながら過ごされました。 昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療器具を取りそろえたその病院には、各方面から見学者が訪れたと聞いております。子供からお年寄りまで診察し、入院患者を受け入れ、昼夜を問わず往診に奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しもあり、私財を投じて、昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」50床の開所へと結実したのです。 岩手県内でも4番目か5番目の特養であり、県内各地から入所者が措置され、施設は瞬く間に満床となりました。その高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月には105床へと増床いたしました。 当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察、昼夜を問わず在宅へ往診し、シゲ会長は病院で入院患者の世話しながら富美岡荘へ出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めておられました。夫婦ともに多忙を極める中、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さでこの世を去られました。 突然の逝去、そして途方もない悲しみの中、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、2年前に他界したシゲ会長でありました。 私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩き、以来、シゲ会長の背中を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってまいりました。そんな私の姿勢を認めてくださり、2001年にシゲ会長に養子として山崎家へ迎え入れていただきました。 シゲ会長と共に歩んだ四半世紀は、「富美岡荘」の1事業所からスタートし、今や市内に14の事業所、そして仙台市にも同じ規模の事業所を展開し、職員・入居者を合わせて約1000人もの大所帯となりました。 その年月は長くもあり、短くもあり、会長と共に歓喜した時もあれば、意気消沈した時もあり、数え切れない紆余曲折を経て現在に至っております。 中でも最大の試練は、あの「東日本大震災」という未曽有の大災害でありました。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウスなどの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せられました。避難者の中には同業の「さんりくの園」のお年寄りや職員をはじめ、地域の皆様、職員の家族が加わり、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がったことを、昨日のことのように鮮明に覚えております。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものでありました。職員をラジオ局に走らせて避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けたその懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も1階が浸水する被災に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員が無事でありました。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には唯々驚くばかりであり、同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様に対する感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめたのであります。 近年でも、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生いたしました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目に明確に広がっております。 同時に、創立から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設作りが私の最優先の取り組みと考えております。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開設から34年が経過し、老朽化が進んでおります。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な場所です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。 思い起こせば、走馬灯のように様々な景色が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で泥臭く汗を流してくれた職員たちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。 亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いてくださったお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、すべてをお年寄りに尽くしました。お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを実践してまいりました。 そのシゲ会長が天国へ旅立ち、今も胸に寂しさを覚えることは尽きませんが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、こうして温かい眼差しを向け、絶えず激励をくださる皆様方がおります。 50年という歳月は、私個人にとりましても、成仁会にとりましても、まさに「人生そのもの」であります。 そして、この節目の年に、もう一つの大きな歩みをお伝えいたします。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両者が一つになることで、より強固な体制を築き、福祉の未来へ向けて新たな一歩を踏み出してまいります。** 先代・伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」という精神を、この成仁会から全国へ発信できるよう努めてまいります。 気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが繋ぎ、積み重ねてきた歴史と、今日ここにご参集の皆様方との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、日本一の施設作りに邁進してまいります。 結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝申し上げます。あわせて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、私からの式辞といたします。 本日は誠にありがとうございました。

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